ー武水別神社ー
鎮座:長野県千曲市大字八幡3012
御祭典は年間合わせて八十余の多きに上り就中九月十四日十五日の仲秋例大祭と十二月の新嘗祭(大頭祭)は特に規模が大きく、祭儀神賑ともに古くから伝えられた特殊なもので、新嘗祭は明らかな年次(文禄元年)から今日まで約四百有余年の永きに亘って一年の欠儀もなく引き続いて盛大に行われて来た伝承を持つ神事であり、昭和六十一年に国の選択無形民俗文化財に指定されております。
その他元旦には、参拝者に福守が授与され、七月の柏葉祭には木曽義仲の戦勝記念の御供(お餅)の奉供神事があり、九月十四日の夜は花火(トントン)など有名な神振の行事が永く行われております。
他に毎日の日供祭をはじめ、月次祭・卯ノ日毎にお祭りを行っています。
一月 |
一日 |
歳旦祭 |
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五日 |
御田植祭 |
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十五日 |
越年祭 |
二月 |
節分の日 |
節分祭 |
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十一日 |
紀元節祭(建国記念祭) |
三月 |
十五日 |
祈年祭 |
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旧暦二月初卯ノ日 |
初卯講祭 |
四月 |
中旬頃 |
日岐目講社祭 |
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二十八日 |
春季祭 |
六月 |
三十日 |
大祓式 |
七月 |
十五日 |
柏葉祭 |
九月 |
一日 |
八重注連祭 |
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十四日 |
仲秋祭 |
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十五日 |
例大祭 |
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二十四日 |
秋季祭 |
十一月 |
三日 |
明治節祭 |
十二月 |
三日 |
釜清め神事 |
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十日〜十四日 |
大頭祭(新嘗祭) |
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二十三日 |
天皇誕生祭 |
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三十一日 |
大祓式 |
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除夜祭 |
毎月 |
一、十五、二十八日 |
月次祭 |
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卯ノ日 |
卯の日祭 |
『武水別神社の頭人行事』として国の選択無形民俗文化財に指定される、『大頭祭』(だいとうさい)は毎年12月10日〜12月14日の期間齋行されます。
その年の五穀豊穣を神に感謝する新嘗祭(にいなめさい)で、記録に残るだけでも約400年以上の歴史があります。祭は、五人の頭人(とうにん)を中心に進行し、頭人の最上位の三番頭を大頭と呼ぶことが、大頭祭の名の由来です。「御頭帳」(歴代の頭人の氏名を記した書物)の記録で最古のものは、1592(文禄元)年にまで遡ります。
斎ノ森神社から武水別神社までの練り行列にはお祝いの宝船が加わり、沿道の拝観者に祝の供物が振る舞われる「御供まき」が行なわれ、行列を作って練り歩くことから、地元では「お練り」とも呼ばれています。それらの費用は当番の頭人が持ち、頭人に選ばれることを名誉とされています。 またその際、頭人行列を迎える沿道の家々は、豆がらを燃やして行列を迎えるのが習わしとなっており、沿道には多くの拝観者で賑わうと共にお迎えの煙が立ち込めます。
練行列の斎ノ森神社出発は各日15:00頃となります。
大頭祭に先立って、奉納する御供の餅を用意する為の「釜」を清める神事。
神事に引き続いて餅つきが行われ、その際には「トウド」と呼ばれる餅つき役は千曲川へ入り、杵や身を清める禊を行います。
〈柏葉祭(はくようさい)〉 7月15日 午前9時
今から凡そ八百余年の昔、「朝日将軍(旭将軍)」と
称された源氏の武将「木曽義仲(源義仲)」は当神社に祈願の上、横田河原の合戦に臨み目出度く勝利を得ました。
そこで義仲は小餅を沢山作り柏の葉に盛って神前に献奉り、感謝の祭を致しました。小餅は集まった村人等にも分け与え喜びを共にしたとの故実から、今でも御参拝の皆様方に、祭典後に御供として1ヶずつ差し上げております。
7月15日には、ぜひ当社にお立ち寄りいただき、
義仲公に思いを馳せながら、御供のお餅を召し上がってはいかがでしょうか。
〈大祓式(おおはらえしき)〉
6月30日 午後3時 / 12月31日 午後2時
大祓式とは、半年間の罪・穢れを全て祓い清めるおまつりで、例年6月30日と12月31日の年2回行われます。
30分程度のお祭りですが、その場で祓詞(ハラエコトバ)を聞いているだけで、心身が祓い清められますので、ぜひお越しください。
祭典終了時には、この写真にある小麻(コヌサ)を限定無料授与いたします。この小麻はお祓いをする道具、祓具(ハラエグ)ですのでお家に持ち帰られたら、ご家族一人一人が神棚の前で、自分に向けて縦に持ち、左・右・左、と振って下さい。皆が祓い清められます。
もちろんその後は神棚に、2拝2拍手1拝と、感謝の心を忘れずに。
毎年2月3日の立春に節分追儺祭が開催されます。豆まきに先立って、拝殿にて巫女の舞などの神事が行われ、一連の神事が済んだのち、年男、年女、来賓、実行委員役員らによる豆まきが始まります。
豆と一緒にサイコロ型のキャラメル箱もまかれ、その中に『武』『水』『別』『神』『社』などの札が入っていれば豪華景品が大当たりです。
【共催】
武水別神社 千曲商工会議所 八幡まちづくり実行委員会
《節分って?》
「節分」とは立春の前日を指します。そもそも節分という語は、立春だけに限らず立夏・立冬・立秋の前日をさし、四季の節目を意味していた言葉でした。
つまり、節分は1年に4回あったわけですが、旧暦では立春が年の始まりにあたったことから、この節目が特に重要視されて、いつしか節分といえば、立春の前日を指すようになったのです。
節分には、災厄や邪気を払う行事が行われますが、その代表的なものが、皆さんご存知の「豆まき」です。
年男が「福は内、鬼は外」と唱えながら、煎った大豆をまいて鬼を払うこの行事は、中国の明の時代の習慣を、室町時代に取り入れたといわれています。
また、豆を撒くことには、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあります。
かつては、豆まきを「追儺(ついな)」「鬼遣らい(おにやらい)」といい、宮中の年中行事の一つでした。それは、方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼払いの役目を負った役人が、疫鬼を迫い払うことにより、災厄を払い除くという儀式でした。
それがいつしか、鬼を追う側であった方相氏が逆に鬼として追われるようになるなどの変化を伴いつつ、次第に民間に伝わっていったのです。
《方相氏》
この節分をもって厄年の節目とするという考えもあり、多くの神社で節分厄除祭という名称で祭典が行われています。